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独自入手 オウム元死刑囚 逮捕直前の未公開音声

社会

03/22 23:30

オウム真理教による「地下鉄サリン事件」から30年。教団は、なぜ未曾有の凶悪事件を起こしたのか?今回、教団幹部だった元死刑囚の肉声を入手。6時間にも及ぶ音声データから見えてきた、教団の実相とは…。(3月22日OA「サタデーステーション」) ■なぜ狂暴化?明かされたオウム真理教の実相 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「麻原は権力だよ。要するに、あれと同じだよフセインみたいなレベルよ。1つの国の上におればお山の大将だったらいいわけ。単細胞的な、ヒステリック的な感情の変化。崩壊の道を進むような進み方をするわけ、いつも」 かつての中東の独裁者の名前を出し、教祖を批判する男。声の主はオウム真理教・元幹部 岡崎一明元死刑囚です。1989年に起きた坂本弁護士一家殺害事件。当時、教団から脱会する信者の支援をしていた坂本さん家族3人を手にかけました。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「(母親が)『子どもだけは』って言ってたよ、初め。もう切羽詰まった声よ。(心境について)そらあもうしょうがないじゃん。しょうがないと言っちゃもちろん…そんな簡単なものじゃないって」 岡崎元死刑囚は1960年に山口県で生まれます。幼いころに養子に出され、日常的に暴力を受けました。さらに進学は学費が出せず断念。社会人となってからも職を転々とします。そうした中、出会ったのが麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚。岡崎元死刑囚は心酔した麻原のカリスマ性をこう表現します。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「予言というか、要するに読心術みたいなものよ。言われた通りになるし、言われたビジョン、夢にしても何にしてもすべてが当たっていたり」 岡崎元死刑囚は、1985年オウム真理教の前身に入信し、教団が出版した本の営業で多くの実績をあげます。最古参の信者として信頼を勝ち得、幹部に上り詰めました。初期の教団の雰囲気については…。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「おじいさんも、おばあさんも修行して、2LDKぐらいの家に住んで、医者もいて。最後まで死んだらオウムの方で埋葬する。修行だけの世界。天界みたいな世界よ。同じ意識を持つものばかりがそろっているから、いいなあという気持ちになるじゃない。そういう状態だったよ、初めは」 今から約30年前に岡崎元死刑囚から直接話を聞いたノンフィクション作家の武田頼政さん。警察に逮捕される4か月ほど前に横浜市のファミリーレストランに呼ばれました。 武田頼政さん 「入口が見えるような席に必ず座って、一切お酒は飲まない。本当はどうも(酒を)飲めるらしいんですけど、外で飲むと自分が何喋ってしまうか分からないということと。声をひそめてというか、そこは極めて慎重にっていう感じでしたね」 ■信者に「戦う意識」オウム狂暴化の分岐点 そして岡崎元死刑囚は、教団が“テロ集団”に変わることを決定づけた出来事について話します。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「(Q.危険な方向に走っていくのはどうしてか)それはいや(テロ行為は)選挙に出る相当、後ろだ」 麻原元死刑囚が立ち上げた政党「真理党」。岡崎元死刑囚含め幹部らが衆議院選挙に出馬しましたが、全員落選しました。世間から向けられる鋭い視線を痛感した選挙。その後、教団にはある変化があったといいます。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「出家してくるわね、子どもたちが。やっぱり親たちの反発だよ。これらが団結し出した。あのへんから、何か戦わなきゃいけないという意識が出たんじゃない?そうしないと教団は潰されるというか」 信者の家族(山梨・旧上九一色村 1990年) 「早く帰ってきてちょうだい…何にも言いませんただ帰ってくるのを待ってます」 “戦う意識”が出始めたという信者に徹底させていたのは「布施」と呼ばれるものでした。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「布施というのは3つあるんよ。全額お金を払う。次は自分の身というか、働くとか。一番高い布施というのは命を預ける布施。自分がたとえ傷を負ったとしても体を犠牲にしてでも布施をするとか」 ■逮捕前に漏らした“オウム麻原批判” 教団が狂暴化していくなかで、恐怖を感じた岡崎元死刑囚は1990年2月に逃亡。その後脱会しました。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「判断がつかないような状態にきていると。普通の道徳とか慣習、そういうものがもう崩れているままだよ。VXガスをピュッとやられたんじゃ終わりやから。いや。本当よ。怖いもん。いつ殺されるかわからんもん」 地下鉄サリン事件をきっかけに、岡崎元死刑囚は坂本さん一家の殺害に関与したと神奈川県警に自首。その約4か月後に逮捕され、2018年に死刑が執行されました。肉声の中で岡崎元死刑囚は数々の指示を受けたかつての尊師に対しこんな言葉をぶつけていました。 岡崎元死刑囚
 逮捕前の音声(1995年5月) 「(麻原は)被害妄想ですべてうまくいかないのは国が悪いんだと、頭からそう考えているんだから、(悪いのは)全部日本だ、日本の国家だと。日本という政府に殺されたぐらいしか。(麻原は)今でもそう思っているんじゃない?」 約6時間にも及んだ音声データ。麻原元死刑囚や教団への批判はあったものの、謝罪や後悔の言葉は一つもありませんでした。300回以上接見した中で、武田さんはこう見ています。 武田頼政さん 「不遇の中で育って宗教に救いを求めていった経緯があってその中で巡り合ったのがオウム真理教。麻原の妄想というかそれを具体化してしまうことによって彼(岡崎元死刑囚)の中でも引くに引けなくなってったというところがあると思う。そこに向かっていってしまうようなその彼の人生の悲しさをものすごく感じます」 ■オウム真理教元幹部
 岡崎一明元死刑囚
 逮捕直前に語ったことは? 高島彩キャスター 「地下鉄サリン事件から30年、スタジオには、取材にあたったテレビ朝日・社会部の西平大毅記者です。
 まずは、岡崎元死刑囚の音声がいつ収録されたものなのか、これまでの経緯を整理します」 板倉朋希アナウンサー 「オウム真理教の元幹部・岡崎一明元死刑囚は、1989年の11月、坂本弁護士一家殺害事件などに実行役として関与しました。その後、教団が狂暴化し、麻原彰晃元死刑囚に恐怖を感じた岡崎元死刑囚は、1990年2月に教団から逃亡、その後、脱会しています。そして、1995年3月20日「地下鉄サリン事件」が発生しました。今回の音声は、岡崎元死刑囚が逮捕される直前の1995年5月18日から19日かけてインタビューしたものです」 高島彩キャスター 「逮捕直前ということですけど、なぜこのタイミングで取材に応じたのでしょうか?」 西平大毅記者 「この音声を収録した日、武田さんが岡崎元死刑囚に呼ばれたのは、逮捕される直前の深夜ファミリーレストランでした。そこで6時間にわたり話をしていたものになります。音声では、坂本弁護士一家の死体遺棄に関与したものの、殺害行為そのものには関わっていないということで話が進んでいました。近いうちに逮捕されることを予想し、弁明めいた事を淡々と話すことで、自分自身の心を軽くしたかったのではないかと感じます」 高島彩キャスター 「自己弁護の意味合いも強かったのかなというのも感じますけど、なぜ武田さんは、事件から30年が過ぎたこの時期に音声を公開することを決めたのでしょうか」 西平大毅記者 「風化させたくないということでした。武田さんは、現在66歳で事件がおきた30年前と比べると歳をとったということ。当時、社会を恐怖で震撼させた雰囲気を知る人たちが年々少なくなっているということで、次の世代にいわば 資料として、それをテレビを通して肉声を伝えることで感じ取って考える一つのきっかけになればと話していました」 高島彩キャスター 「柳澤さんは、地下鉄サリン事件をはじめ、オウム真理教の一連の事件について、どのようにご覧になっていますか?」 ジャーナリスト柳澤秀夫氏 「オウム事件は、まだ終わっていないと思っています。後継団体もありますし、社会状況が30年前に比べてよくなっているかというと、むしろリスクが高まっていると思う。SNSが発達したことによって陰謀論が瞬く間に拡散してしまう。そういう状況のことを考えると、30年前に何が起きたのか。そしてなぜ起きたのかということを今、改めて問い直す意味は大きいと思います。二度とこういう事件を繰り返させないためにも」 高島彩キャスター 「様々な角度から検証していくことの必要性を感じます」

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