ミャンマー大地震 取材班が壊滅“首都”へ 生き埋め多数…瓦礫の下から園児の叫び声
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03/30 23:30
ミャンマーを襲った大地震。取材班は、甚大な被害が出ている首都ネピドー近郊の街に入りました。倒壊した建物の下からは救助を求める声が相次ぐ中、新たに、震源近くの街・マンダレーに暮らす日本人1人と連絡がとれていないことがわかりました。
■ミャンマー大地震
日本人1人連絡取れず
地震発生から3日目。ミャンマーの首都・ネピドーに入った取材班。車道にカメラを向けると…。
(西橋拓輝記者)「道路にこうした大きな亀裂が走っているんですけれども、だいたい30mくらい続いています。そして路面がせり上がっている場所もあります」
「これどれくらいですかね。30cm、50cmくらいですか。ここ危ないかもな、下空洞か、空洞になっているんですかね」
電柱が折れ曲がり、電線などが道路を塞ぎ…
「規制しています。通れなさそうですよ」
いたるところで、崩れ落ちている建物…。
(西橋拓輝記者)「壁がこうして大きく崩れ落ちてしまっていて、線路上に積みあがっている状況です」
「ああ…、どういう形だったか、一見するとわからないですね」
ここは地元の人々が、食料や日用品を買い求めているマーケット。崩れ落ちた建物は、元々、こちらの建物と同じ形をしていたといいます。
(被災した店の従業員)「(地震発生時)13~14人くらいはまだ中にいて、みんな慌てて、混乱していました。大きな音がして、どう外に出てきたのか覚えていません」
重機が足りず、がれきの撤去も捜索も、市民が素手で行わざるを得ません。
「まだ、ひとり取り残されているから救出して」
がれきの山となってしまった場所では、3人が閉じ込められていました。
(親族が生き埋めになった男性)「私のおじといとこ夫婦が閉じ込められました。おじはその場で亡くなり、いとこの奥さんは救出されましたが、足を骨折し、病院に搬送されました」
まだ1人、26歳の男性の安否がわかっていません。
(安否不明男性の家族)「けさは返事がありました。今は声が聞こえません」
(親族が生き埋めになった男性)「できるのなら、各国からの支援が一刻も早くきてほしいです」
■橋が崩落
“震源の街”
跡形なし
28日、ミャンマー中部を震源として起きた、マグニチュード7.7の大地震。専門家によると、日本の階級にすると震度7に相当し、地震のエネルギーは、能登半島地震の2倍。阪神淡路大震災の4倍にも匹敵するといいます。
一階部分が潰れ、道路に散乱するがれき。29日に撮影された“震源から最も近い町”「ザガイン」の映像です。切断された巨大な橋。地面には、無数の亀裂が走っていました。
(倒壊家屋から救出された
メイテンさん(58))「ここは、私がご飯をよそっているとき、壁が崩れて閉じ込められたところです」
番組では、倒壊した家屋から救出された人物と接触することができました。
(メイテンさん)「揺れは横にも上下にもあって立つことさえできませんでした。揺れが止まり、外に逃げようとした瞬間、次の揺れですべてが崩れ落ちました」
駆けつけた家族によって助け出されたメイテンさんは、周囲の状況を知り、愕然としたといいます。
(メイテンさん)「近所では4~5人が亡くなりました。家のまわりにはお寺や僧侶の住居もあって、お坊さんたちも亡くなったと聞いています」
「また揺れた!揺れたぞ!!みんなの無事を祈るしかない」
ミャンマー第二の都市「マンダレー」。かつて王朝が置かれ、荘厳な寺院などが建ち並ぶ、美しい町でした。しかし…
「地震後の火災だ!」
大規模な火災も発生しました。震源から20km足らず。かつての美しい“古の都”の姿はそこにはありません…
一縷の望みがある出来事も…救助隊に抱えられ、がれきの中から出てきた女性。彼女はこの家の住民で、18時間ぶりに救出されたといいます。
「救助できたので、嬉しいですね」
■がれきから園児叫び声
救助難航も
日本でミャンマー語の通訳として働くカンワさん。マンダレー近郊の街「チャウセ」に住む妹が、街の状況を撮影してくれました。
(ナンモカンさん)「ここが幼稚園があった場所です」
前日、幼稚園があったこの場所では、救出作業が行われていました。救急隊員によると、一時、50人以上が閉じ込められ、がれきの中から、幼児16人と、教師1人の遺体が見つかったといいます。地震発生時、母親と自宅から避難したナンモカンさん。今は友人宅の庭で、近隣住民約30人と避難生活を送っています。余震が続くなか、家には入れず、寝泊まりは、地面に敷かれたシートの上。それぞれが持ち寄った食料などで、なんとか生活はできているといいます。
Q.水や電気の状況は?
(ナンモカンさん)「水道は使えません。ずっと停電していて、ネットもスマホでしか使えません。今は自家発電機で電気や水をくみ上げています。避難先は安全なので、しばらくの間そこで暮らすつもりです」
ミャンマー軍事政権によると、これまでの死者は、約1700人。今後も増える可能性があるといいます。
■壮絶な医療現場「普段助かる命も…」
ストレッチャーで慌ただしく運ばれていく患者。手術中に強い揺れに襲われ、移動を余儀なくされました。直後、砂埃とともに崩れていく病院の建物…
「早く!早く!うしろに戻って」
今、ミャンマーの医療現場はひっ迫しています。患者がつめかけても建物に入れず、路上で治療を行う状況です。震源にほど近い村で医療支援をしている日本の医師は、今後の支援の難しさを指摘します。
(NGOジャパンハート
創設者・小児外科医
吉岡秀人医師)「道路はボコボコで、橋が2本あって、1本が第二次世界大戦からある橋で、あれは落ちていましたね。20年前に作った大型の橋はひびが入って落ちていなくて、ただ通行止めになっていました」
寸断された交通網。血液など、医療物資の確保に不安が募るといいます。
(吉岡秀人医師)「心臓とか肝臓とか、子どもとかいろんな病気がありますね。そういうのが治療できなくなる。普段はなんとかなる、助かる命も亡くなっていく。現地人の医療チームを動かしますけどなるべくできる限りのことを早い段階でやっていく。」
■余震で被害拡大か「レンガは弱い」
これまで、度々マグニチュード6以上の地震に見舞われてきたミャンマー。なぜ、これほど被害が拡大しているのでしょうか?ミャンマーで地震の調査を行ってきた専門家は、この土地特有の建物の構造に原因のひとつがあるといいます。
(名古屋大学大学院
(耐震工学)
日比野陽
准教授)「レンガ層の壁をつけた構造がたくさんある。耐震性能がもともと強い建物はそれほどない。今回ギリギリで立っている状態の建物もあるかもしれないですけど、そういう建物は立っていても弱っていますので、そういう壊れかけているところから壊れてしまうという状況になる。」
3月30日『有働Times』より