世代ナンバーワン右腕 北九州市出身の織田翔希選手 アメリカ挑戦を表明
福岡|
10/16 18:33

この夏の甲子園を湧かせた横浜高校のエース・織田翔希選手。日本のプロ野球を経ずにアメリカへ挑戦するという異例の決断を発表しました。
世界へと羽ばたく18歳の挑戦に、出身地の北九州市からもエールが送られています。
「自分の最終目標である世界一のピッチャー世界で活躍するという目標に向けアメリカの地で挑戦することに決めました」
横浜高校のエース・織田翔希選手。世代ナンバーワンとの呼び声高い右腕は来週のドラフト会議で1位指名が確実視されていました。
しかし、日本のプロ野球を経ずにアメリカ挑戦という異例の決断を表明しました。
「NPBを通ったほうがメリットがあるかも知れませんが世界一でプレーしたい本当にこの思いが一番背中を押してくれた」
織田選手が生まれ育ったのは北九州市。「150(キロ)出していいですか?」〜一同笑い
今年8月、市役所を表敬訪問した際にはリラックスした表情を見せていましたが、夏の甲子園では脅威の156キロをマークするなど春夏の甲子園を通じて歴代最速記録を打ち立てました。
「北九州市出身の織田選手はこちら足立クラブに小学校1年生から6年間所属していました」
後輩にあたる子どもたちはQニュース見ました?
「はい!アメリカですよね。めっちゃ嬉しかった」
Qサイン書いてもらったの?
「はい」
Qいつ書いてもらった?
「8月、9月くらい」と話します。
小中学校と地元の軟式野球チーム「足立クラブ」で野球をしていた織田選手。野球少年が集う、あの場所にも通っていました。

山守宙記者リポート
「織田選手はこちらのバッティングセンターで練習をしていたということなんです」
小倉北区の三萩野バッティングセンター。織田選手は小学生の頃から横浜高校に進学する前まで通っていたといいます。
末松一英代表は「中学校3年生の時にうちの投球スピードのランキングで1位を出したっていうか。もう中学校ではピカイチだったですよね」と織田選手について話します。
織田選手が中学3年生の時に出した時速138キロの記録はいまだに破られていません。
織田選手の挑戦を聞いた地元の子どもたちは…
「言葉に表せないくらい本当すごいって思いました」
「先輩が世界っていうかアメリカで活躍するのがうれしい」などと興奮していました。
末松代表は「まずここらへんに(サインを)飾りたいなと思うんですけどね。一個空けてますから」「プロ野球目指してる子とかがいっぱいいるんですよねその子らに勇気と希望を与えるんじゃないかと思います」「本人もあえて困難な道に行きたいっていうけど、本当にそれは支持したいなって思ってます」
北九州から世界へ。織田選手の挑戦はこれから始まります。







