【 小倉織❷ 】「縞の継承」 小倉縞縞 築城弥央さん
放送内容
2025年08月03日
1984年、母・築城則子さんがその情熱と探求心でよみがえらせた幻の織物、小倉織。
幼い頃から工房に響く織り機の「トントン」という音は、築城弥央さんにとって、ごく自然な日常の一部でした。
しかし、自身が織物の道に進むとは、当時は考えてもいなかったといいます。
転機となったのは、留学先での経験でした。
異国の地で出会った人々が日本の文化に深い敬意を抱いていることに触れ、何気なく話した小倉織の物語が、彼らから「素晴らしいものだね」という称賛の言葉となって返ってきたのです。
この経験が、弥央さんの心を動かし、母と同じ「縞の道」へと誘いました。
帰国後、彼女は小倉織の普及を目的とした「小倉縞縞」に参加、その魅力を国内外へと発信すべく尽力しています。
「小倉織は使われてこそ」。
母・則子さんのこの言葉は、「小倉縞縞」の活動の核となっています。
手織りによって一枚一枚丁寧に作られる小倉織の美しさを守りながらも、「小倉縞縞」では機械織りを導入することで、現代の多様なニーズに応える広幅の生地を製作しています。
二度と小倉織の伝統を途絶えさせない、弥央さんの強い願いから生まれた挑戦です。
小倉織の核心である「先染めの糸で織られる美しい経縞」という特性はそのままに、古き良き伝統を継承しつつ、新しい価値を創造していく。
そのために、縞のデザイン監修を母・則子さんが、その普及を娘・弥央さんが担う、まさに「母娘ワンチーム」で小倉織の魅力を広げています。
手織りの文化である小倉織の機械化は困難を極め、「最初はエラーばかりでした」という試行錯誤の日々。
それでも、様々な経歴を持つ仲間たちが一丸となり、知恵を絞り、今では様々な生地に挑戦できるほどの熟練の技術を確立しました。
チームで作り上げてきた「唯一無二の生地」に、彼女たちは揺るぎない自信を持っています。
弥央さんの目標は、小倉織の普及にとどまりません。
一度伝統が途絶えた悲しさを知る小倉織の継承者だからこそ、彼女は「もう織ることができなくなってしまった他の産地の織物も担えるようになること」、つまり、日本の織物文化全体への深い愛情と使命感を抱いています。
築城弥央さんが未来に残したいと願う風景は、北九州市にある勝山公園・勝山橋からの眺めです 。
小倉縞縞本店から望むこの景色は、彼女が子供の頃から見続けてきた「都会の中にある自然」。
紫川が流れ、その先には小倉城がそびえ立つこの風景を、「古くなっても大事にしながら進化させていきたい」と弥央さんは言います。
小倉織の継承者として、この街の風景もまた、守り引き継いでいきたいという強い思いが込められています。
勝山橋に小倉織をモチーフにした橋飾りが施されているのは、小倉織が北九州の誇りとして深く定着している証かもしれません。
橋の欄干の向こうを見つめる弥央さんのまなざしには、小倉織の、そして日本の織物文化の、次の明るい未来が見えていることでしょう。
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