豊臣秀吉が見た景色を今に伝える「肥前名護屋城」 430年前に思いをはせ歴史そぞろ歩き~ふるさとWish唐津市~
佐賀県の北の端。東松浦半島の玄界灘を望む岬に築城された「肥前名護屋城」は、太閤・豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えてわずか数カ月で作らせたという名城です。
当時、大坂城に次ぐ規模を誇った巨大な城で、周辺には日本中の名だたる武将が130以上の陣を築き、日本の“中心地”となりました。
屏風絵を見ながら散策
秀吉の居館があったという「山里丸」を案内してくれたのは、肥前名護屋城跡で観光ガイドをしている“福姫”こと福浦恵理子さん。
福姫が所属する肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会では、「肥前名護屋城さるき」というブランドでさまざまな見学コースを作成、案内しています。アイタガール・國﨑成美リポ―タ―は、コアな人気を誇る「屏風絵めぐり」コースに参加しました。
狩野光信が描いた「肥前名護屋城図屏風」を元に、城下町や有名武将の陣屋跡などを福姫の楽しいガイドと共に約70分かけて堪能します。
「肥前名護屋城は約17ヘクタール、ペイペイドーム2.5個分の敷地があるんです」
当時の城郭の中で大坂城に次ぐ大きさを誇っていたそう。秀吉が住み、能舞台や家庭菜園まであったという「山里丸」は、一番の見どころです。「(ツアーの出発地である)道の駅桃山天下市から歩いて5分ほどすると、とてつもなく大きな石垣が突然現れるんです。鳥肌がぶわわわと立ちました!石垣を見てこんなに感動したのは初めてです」と興奮気味に話す國﨑リポーター。
「修復された部分もありますが、肥前名護屋城の石垣は大体430年前のものがそのまま残っています」と福浦さんが教えてくれました。「お城は攻められては困るので、石段の幅や高さを少しずつ変えています」と、普通に歩いていては気づかないような豆知識もガイドツアーの醍醐味です。
ところで「名護屋」という名前は、秀吉の出身地である愛知県に関係があるのかと思いきや、「元々ここを治めていた領主の名前が“名古屋”だったんです。そこから付けたそうですよ」。そんな運命的な偶然があったとは…驚きました。
「肥前名護屋城さるき」のコースは、他にも、タブレットなどをかざすと当時の城が映像に映し出されるバーチャル画像を楽しみながら深く掘り下げるコース、海からめぐる歴史クルーズなどが用意されています。利用するときは、電話かホームページで予約を。
名護屋城跡観光案内所
0955-82-5774
肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会
https://nagoyajyo-rekishi.com/index.html
※この記事は2020年の情報です(「PAO~N」11月23日放送、リポーター:國﨑成美【アイタガール】)。内容は変更している可能性があります。事前にご確認ください。