石炭船「川ひらた」復活!遠賀川を活用し郷土愛を~ふるさとWish中間市~
かつては、筑豊炭田の一翼を担い、今となっては北九州都市圏のベッドタウンとなった中間市。その中間市には、どんな魅力があるのでしょうか。ヒントは、町を流れる一級河川です。
かつて7トンもの石炭を運んだと言われる五平太船、通称 “川ひらた”。全長は約13メートルです。
地域おこしの目玉として飯塚市の「川船製作研究会」の協力のもと、去年およそ80年ぶりに中間市の遠賀川に復活しました。
この日は、市民を対象とした試乗会が開かれます。
中間市に川ひらたを復活させた一人、神代 龍太さん。
障がい者の就労を支援する事務所に勤める傍ら、3年ほど前からNPO法人で地域おこしに取り組んでいます。
神代さんは「自分の住んでいる地域に恩返しだったり、自分の子どもたちが生活していく中間市が少しでも盛り上がれば」と願っています。
明治から昭和初期にかけて筑豊炭田の一角として栄えた中間市。
およそ16キロ平方メートルと小さな町ですが、北九州都市圏のベッドタウンとして、一時、人口が5万人まで増えました。しかし、北九市の人口減少もあり、現在は4万2000人と減り続けています。
神代さんは「中間市がもともと北九州市のベッドタウンとして栄えたこともあり、“中間市がふるさと”という意識が薄い」と言います。
「中間市に地元愛を」と、神代さんが目を付けたのが、町の中心を流れる一級河川 “遠賀川”。
「自分の住む町のシンボルが何か聞いたとき、遠賀川しかないと思えるくらい、すごく密接に関わっている川です」
その遠賀川には、産炭地として最盛期だった頃、年間13万艘の川ひらたが行き来していたと言われています。
試乗会当日、船尾の一部が壊れるといったハプニングにも見舞われましたが、1時間の応急処置の末、開催されることになりました。
試乗会に参加した方に話を聞いてみました。
「昭和や江戸時代の話を聞けて、自慢したくなっちゃいました。」
「傾いたときにぐーって重さで揺れるの初めて知った。」
「中間の自然を楽しみました。地元をゆっくり堪能する時間が少ないので。」
神代さんは「遠賀川や、川ひらたの歴史を知らない子どもたちに、たくさん体験してもらった。自分たちの住む市や遠賀川について考えるきっかけになったら、それだけで大成功」と語ります。
中間市では、この遠賀川や河川敷を使った町づくりを本格化させたいとのことです。
神代さんも、来年もこの遠賀川で川ひらたの試乗会をやりたいと話していました。
※この記事は2019年の情報です(「シリタカ!」3月20日放送)。