王道博多豚骨に、盛りのいいネギ山も! 若手注目株の2代目「ラーメン太閤」 豚骨戦士 福岡のラーメンを斬る! VOL.45~ふるさとWish 筑紫野市~
“代替り”を経て変わらぬ人気を誇る、あるいは、より輝きが増す。一代ではなかなか行き着かない齢半世紀級の老舗においてだけでなく、味の継承という人間ドラマが詰まったラーメンを前にすると、背筋を伸ばし丁寧に啜ろうという気分になる。本連載でも紹介したドラゴンロードの雄「天龍ラーメン」(VOL.42で掲載)は祖父母より孫が、クリア豚骨の先駆けである宮若市「来々軒」(VOL.8)は2代目の娘婿が、北九州市「龍王」(VOL.28)は、幼少から通う常連が店を継いでいる。家族や常連と後継者はさまざまだが、先代と比べられるのは宿命。「味が変わった」。実際どうであれ、以前の味を知る者は愛を込めてそう言いたいもの。先代がキャラクターの立った人、名物オヤジであればあるほど、後継者の苦悩も大きい。
“飲み干せる豚骨”。父の味に、そっと進化を添える
筑紫野市に「ラーメン太閤」という、若き2代目が腕を振るう店がある。先代は父。前述した麺々と同じく、古くからの常連を呼び戻し、さらに新たなファンも多く獲得している注目株だ。
「太閤」のラーメンは、博多駅南「住吉亭」が源流のシンプルな博多豚骨である。住吉亭での修業後2003年に独立開業した父より、平岡良紀さん(1988年福岡県春日市生まれ)が継いだ。
「私が23歳の時、父が仕込み中に突然倒れて入院し、店を続けるのが難しくなったんです。ラーメン店は少し手伝ったことがあった程度で、当時私は一般企業のサラリーマン。兄弟も店をできる状況でなく、いよいよ閉店かと母と話している時、ふつふつと熱い思いが沸き上がってきました。じゃあ、俺やったろう! と。思い返すと、完全に素人の勢いってやつですが(笑)」
平岡さんは一念発起し脱サラ。他店で修業したわけでなく、父から指導をうけたこともない。ラーメンの世界へ、飛び込んだ。
「豚骨と初めて向かい合ったんですが、最初はどうしていいか分からなかったですね。父は病床で話もままならなかったので、頼りは一緒に働いていた母。自分の舌に残る父の一杯も思い返しながら、試行錯誤して作り上げました」と平岡さん。
父が倒れてから約4か月後に店を再開したが、代替りの宿命ともいうべき、
常連客からの厳しい言葉もあったという。
「最初は父のラーメンを再現しなければ、という気持ちだけでやっていましたが、例え同じ材料、分量で作っても全く同じにはならないんですよね。作り込むたびに豚骨ラーメンは生き物であると痛感しました。それならば、自分なりの旨い一杯を追求しようと」。
“飲み干せるあっさりとした博多豚骨”。父が大切にしていた思い、軸はブラさずに、平岡さんは、さりげない進化を添えた。
豚骨の部位は、当初頭だけであったがゲンコツをブレンド。背脂やラードを全く使わないため、頭、ゲンコツから染み出る自然な油がうまく溶け合う、それぞれの比率、煮込み方を研究した。醤油は甘さのなかにもキレがある福岡産を厳選。豚バラ、豚モモ肉チャーシューが1枚ずつのり、それぞれで味付けも変えている。
研鑽を重ねた2代目のラーメン。父の味を知る常連も満足させ、若い層にはこの味が定番になった。
同店は“ネギ山”も名物。手切りしたネギも混ぜ、シャッキリ感を立たせる。
担々麺の肉味噌もそうであるように、最後にスープに沈んだネギをすくって食べるのも楽しみ。レンゲで何回もすくい、飲み干してしまう。
「ラーメン太閤」は最近発足された福岡のラーメン会「令和維新会」の一店。駒や、道、二極、にへい、六味亭、絶好鳥、そして太閤。注目のラーメン店が参加する同会の活躍に期待したい。
【ラーメン太閤】
住所:福岡県筑紫野市永岡1490
電話:092-922-5678
営業時間:11:00〜14:30(LO)、18:00〜20:30(LO)
休み:火曜、第1・3月曜
席数:20席
駐車場:6台
上村敏行(かみむらとしゆき)。1976年鹿児島生まれ。2002年よりラーメンライターに。以降年間300杯を食べ歩き「ラーメンWalker」はじめ各媒体での執筆活動、ラーメンイベント監修などを行う。KBC地域リポーター。
※この記事は2019年の情報です。内容は変更している可能性があります。事前にご確認ください。