福岡絶品ラーメンすすりまくり!第1週久留米市 「豚骨ラーメンの聖地 歴史に思いを馳せズズリ」
久留米のラーメンは“あっさり豚骨”が主流
久留米のラーメンは、豚骨を継ぎ足し煮込み旨味を重ねたスープや有明海が近いことに由来する海苔などが特徴。大砲ラーメンや清陽軒などは豚の背脂を揚げた通称「カリカリ」も伝統的な具材だ。
“久留米ラーメンは濃厚”というイメージがあるが、ラードをほとんど使わないため写真の丸好食堂のように比較的“あっさり”としている店が多い。また、店によりラーメンの醤油ダレで味付けする“久留米やきめし”がテッパンのサイドメニュー。さらに、麺は博多ラーメンよりやや太め。もともと麺にしっかりスープを染み込ませるヤワ麺文化で替え玉もなかったが、近年、カタ麺や替え玉に対応するところも増えた。卓上に高菜は基本的にない。
久留米は齢半世紀を超えるラーメンの猛者ぞろい!
久留米を訪れるときは車で、また西鉄電車で行く人が多いだろうが、次回はぜひJR久留米駅に降り立ってもらいたい(特にラーメン好きならば)。ステンドグラスで彩られるドーム型の駅舎の前。からくり儀右衛門にちなんだ大時計はじめ、地元出身の偉人の功績を讃える展示のなかに、ラーメンヒストリーを記した屋台モニュメントがある(小さくて目立たないのだが、、)。そして、目の前にも「豚骨ラーメン発祥の地」と書かれた大看板。「いよいよ豚骨ラーメンの聖地に来た」と気分が盛り上がり、駅至近の昭和29年創業「来福軒」で“改札出て即豚骨”も楽しめる。
2017年に豚骨ラーメンは生誕80周年を迎え、関連の記念祭が多数行われた。10月2日を(“トン”コ“ツ”の日)と定め、豚に感謝する豚供養も同年に開始。そのようなイベントもあり「豚骨ラーメンの発祥は久留米」とご存知の方も多いだろうが、改めてその歴史を紐解いてみよう。
昭和12年に史上初の豚骨ラーメンが誕生
豚骨ラーメンは、1937(昭和12)年に久留米市明治通の屋台「南京千両」(なんきんせんりょう)で誕生。もともとうどん屋台を営んでいた初代店主が、東京、横浜で流行していた支那そば(醤油ラーメン)と、自身の出身地である長崎のチャンポンをヒントに豚骨ラーメンを作った。筑後エリア初の中華料理「光華楼」も影響を与えたといわれる。当時、麺料理のスープの素材は鶏ガラが主流。鶏ガラより安価だった豚の骨に着目し創作。路面店で今なお営業する「南京千両」。80年以上の歴史を誇る一杯には、家族で味を受け継ぐ人間ドラマも詰まっている。
澄んだ豚骨スープから白く濁ったスープへ
「南京千両」で生まれた一杯は、現在の一般的な豚骨ラーメンとは異なり、強く濁っておらず、ある程度の透明感の残るスープであった。
白濁した豚骨ラーメンが生まれたのは「南京千両」から10年後の1947年に同じく久留米に創業した「三九」(さんきゅう)でのこと。店主が、仕込みの豚骨スープに火をかけたまま外出。うっかりたぎらせ白く濁ってしまったスープに試しに味付けしてみると実に美味しいものになった、いわば偶然の失敗から生まれたエピソードはラーメンファンの間では有名な話だ。
久留米を起点に九州各地へと伝播
白濁豚骨スープの祖「三九」は、その後、佐賀市や熊本玉名市に支店を開業。玉名に研究に訪れた「桂花」(けいか)「こむらさき」「味千ラーメン」(あじせん)、「松葉軒」(しょうようけん)などの初代が熊本市内に店を出店。ニンニクチップが特徴的な「熊本ラーメン」というジャンルが作られていった。また、宮崎のラーメンも元をたどると久留米である。このように、久留米で生まれた豚骨ラーメンは九州各地へと放射線状に伝播し、その土地土地で根付いていった。そのほか、長距離のトラック運転手が豚骨ラーメンの評判を全国へと運んでいった通称“国道系ラーメン”「丸星ラーメン」「丸幸ラーメンセンター」の功績も忘れてはならない。
久留米は齢半世紀を超える老舗が今なお存在感を放ち、新しい店が勝ち抜くのは容易ではない激戦区。そのなかでも「モヒカンらーめん」「本田商店」は確実に定着し、両店主は他エリアのイベントにも積極的に参加するなど「久留米ラーメンを全国へ」と意気込んでいる。さらに、気鋭店主によるレモンラーメンなどの新味、スタイリッシュな店も登場。
近年、寿司に並ぶ勢いでワールドワイドな人気の広がりをみせる豚骨ラーメン。
その原点は久留米であると再確認し豚骨の聖地で多彩な一杯をすすってみよう。
※この記事は2019年の情報です。内容は変更している可能性があります。事前にご確認ください。