あっと驚く真実も!各家庭で自家製を作る町民の柚子こしょう愛 ~ふるさとWish添田町~
以前炭鉱の町として栄えた福岡県添田町。炭鉱以外で有名なものといえば、日本三大修験道のひとつに数えられる「英彦山(ひこさん)」です。その英彦山で根付いた食文化が今、再び注目を集めているということで添田町を取材しました。
町民の多くが作り置き!自家製柚子こしょう
初夏を迎えた添田町を訪れると、畑や一般住宅などいたるところで、実がなったユズの木が見られます。そして同様に、唐辛子が植えられている光景もちらほら。とある町民を訪ねると、その理由がわかりました。見せてくれたのは、びん詰めされた柚子こしょう。「冷奴に添えたり、新タマネギを(電子レンジで)チンするときにかけて食べたりするとおいしい」と普段の活用法も教えてくれました。
趣味で自宅の畑に5種類ほどの唐辛子を育て、柚子こしょうを作っているという町民・吉竹 弘樹さんのご自宅にもお邪魔しました。世界一辛い唐辛子といわれている「キャロライナリーパー」を栽培しているそうで、「辛いのに慣れたらだんだんと味がわかるようになってきて。ちょっと柚子こしょうを作ってみたら好評で」と吉竹さん。
吉竹さん作のキャロライナリーパーを使った真っ赤な柚子こしょうを、スタッフが試食させてもらうことに。「辛い!もっと酸味があるかなと思ったけど、辛さが勝ちます!!」。苦渋の表情で声をふり絞るのが精一杯な様子から、とっても辛いことが伝わってきました。
別の町民宅を訪ねると、やはり柚子こしょうが常備されていました。「たまたま遊びで作って、来た人にあげたら、おいしいと言ってくれた」という経験から、それ以来自身で柚子こしょうを作っているそう。
発祥の地は大分ではなく添田町!
九州では、水炊きや地鶏料理に欠かせない柚子こしょう。一般的には大分県の名産というイメージが強いですが、なんと、実は添田町が柚子こしょう発祥の地!そのため、冒頭で紹介したように多くの家庭で柚子こしょうを作っているのだとか。では、なぜ添田町が発祥の地なのでしょうか。
添田町にある英彦山は、日本三大修験道の1つ。北部九州最高峰ということもあり、1500年ほど前から信仰の対象となり山伏たちが修行を続けています。柚子こしょうは、その山伏たちが海外から伝来したユズや唐辛子などを調合し、薬や保存食としていたのが起源と言われています。
その後、山伏から一般の人に広まったのは、大正時代から昭和初期にかけて。添田町で柚子こしょうの製造・販売を行っている「柚乃香本舗」の林 久秀代表にそのころのことについてお話を伺いました。「柚子こしょうは、実は私の祖父・光美が作りました。戦前、冷蔵庫がない時代にユズを保存するため塩漬けなどにしたんです。その加工方法を用いて、柚子こしょうを製造するようになったのです」。
当時、添田駅長を務めていた祖父の光美さんは、駅の利用者が英彦山に向かうことに目をつけ、食堂などの経営を始めました。そして、山伏からヒントを得て柚子こしょうを提供するように。「登山客や当時の炭鉱夫から、“いろいろな食べ物につけるとおいしい”と言われた。(炭鉱夫は)どうしても汗をかくから塩分の強いもの、味の濃いものが好まれたんです」と林さん。
しかし、その後のエネルギー革命で石炭業は衰退。それとともに柚子こしょうの人気も下火になりましたが、料理人を通じて大分県へ伝わり、いつしか大分名物として認知されるようになりました。「大分の日田駅前にある5、60年続く餃子店では、うちの柚子こしょうを使っているんですよ」と林さんが誇らしそうに教えてくれました。
一方、添田町の一般家庭でも1980年前後から柚子こしょうを作る人が増えてきました。添田町の柚子こしょうは、数年前から東京のバイヤーにも知られるようになり、現在もPRを続けています。「添田町と英彦山を同時にアピールできるいいチャンスなので、できるだけ“添田町・英彦山”というイメージで販売していこうと思っています」と林さん、今後の展望についても熱く語ってくれました。
「柚子こしょうのルーツは添田町」。昔から根付いている食文化が今、新たに町を元気づけようとしています。
※この記事は2019年の情報です(「シリタカ!」6月19日放送)。