エンタメとしての完成度が高~い! 『十一人の賊軍』
2024年10月31日
[薫と有紀の日曜日もダイジョブよ!]
この作品のさらに詳しい情報はコチラ→https://11zokugun.com/
⽂句なしに⾯⽩かった︕
理由は「最後に11⼈の賊軍はどうなるのか︖」という大きなテーマがあるからだ。
監督・⽩⽯和彌と脚本・池上純哉のコンビは『孤狼の⾎(2018・2021)』やNetflixの『極悪⼥王(2024)』を大ヒットさせている。
そんな映画のプロフェッショナルに対して失礼だが“演出力&脚本⼒”の違いを思い知らされた作品だった。
もともとの企画は『⽇本侠客伝』『仁義なき戦い』など60〜70年代のヒット映画で知られる脚本家の故・笠原和夫⽒が書いた16ページの「あらすじ」。それを⾒つけた⽩⽯和彌監督は、さらに350ページある台本が存在していたことも知るが、それは後でご紹介する“ある理由”によって廃棄された。そんなドラマチックなエピソードにも感銘を受けたという。
舞台は慶応4年(1867)から明治2年(1869)まで続いた「戊⾠戦争(ぼしんせんそう)」の真っただ中。薩摩藩・⻑州藩が率いる新政府軍=官軍は、敵対する旧幕府軍の一員である「奥⽻越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)」などとの戦いを先鋭化させていた。
当初は、新潟・新発⽥藩も「列藩同盟」側だったが「勝ち⾺に乗るならば、今は敵対している官軍側に付いたほうが有利だ!」と考えた。しかし、それはまさに寝返り⾏為で裏切り者のそしりを免れない。さあ~どうする…とここまでは歴史上の事実なので調べれば結末はわかる。
本作ではそのエピソードを元に想像力を膨らませ、というよりも膨らみすぎたアイデアが爆発するほどの面白いストーリーになっているのだ。新発田藩=現在の新潟県新発田市の名誉のため付け加えると、ここからは完全なフィクションだ。
官軍vs列藩同盟、⼆つの勢⼒の間で板挟みとなった新発⽥藩は、時間稼ぎのために“あるミッション”を⽴案し、その実⾏役として犯罪者集団をリクルートする。彼らの罪状は強姦・詐欺賭博・放⽕・密航・強盗殺⼈に武⼠殺しなどですでに死罪が確定。
⾒事ミッションを完遂すれば無罪放免という約束の⼀⽅で、作戦失敗または敵前逃亡すれば連帯責任で全員が即刻地獄⾏きという崖っぷち状態だ。
しかし、このミッションには“⿊いいきさつ”があり、裏で糸を引くのは阿部サダヲ演じる新発⽥藩の城代家⽼・溝⼝内匠なる実在した人物だが、フィクションのキャラクターとして暗躍する。
ミッション開始からが本作の真骨頂で先の展開がまったく読めない。体感的には15分に1回どんでん返しが起きる。「この流れだと次はこうなるんだろうな~」という予想がことごとくハズレた。
巧妙なのは「登場人物が敵なのか味方なのか?」に始まり「本音なのか建前なのか?」「戦況は有利なのか不利なのか?」「騙しているのか、騙されているのか?」「偶然なのか算盤ずくなのか?」など多くの要素がオブラートに包まれ、あたかも「観客参加型先読みゲーム」のようで賊軍メンバーの最後の運命を見届けるまで目が離せない。
この演出によって2時間35分の上映時間はまったく中だるみしなかった。
エンディングは“ある理由”で台本が廃棄された笠原和夫版とは全く違う。当時、東映京都撮影所の岡田茂所長が激怒したとされる元々のエンディングは本作をご覧いただければ一目瞭然。そちらの展開は選択肢がひとつしかないからだ。
そして、自分も岡田所長の意見に大賛成。戦乱の世が舞台なので殺伐としたシーンもあるが、良い意味での改変によって「世の中は思ったほど悪くない…」という気持ちで劇場を後にすることができた。
エンディングこそ変わったが、根底に流れるオリジナルの“思想”は受け継がれている。賊軍メンバーを心底からの悪人とは描かずに「いつの世も権力者によって虐げられるのは弱きもの」という理不尽さがクローズアップされている。
笠原氏の「あらすじ」が書かれたのが60~70年代とすれば、背景にあったのはアメリカがベトナム戦争に本格介入したことや東西冷戦時代のキューバ危機などへの危惧だったはずで「戦争で虐げられるのは常に弱きものだ」という主張が伝わってくるのだった。
※この作品は11月1日(金)から T・ジョイ博多、ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13、ユナイテッド・シネマ福岡ももち、TOHOシネマズ ららぽーと福岡ほかで全国ロードショー公開されます。
※小学生以下の方が視聴する際、保護者の助言・指導が必要な「PG12」指定作品です。
※文中で触れた故・笠原和夫氏による「あらすじ」は『十一人の賊軍:プロット 浪漫堂シナリオ文庫』のタイトルで Kindle版が有料公開されています。