「黒と白の味わい」(福岡県田川市)
約70年前に誕生した羊羹・「黒ダイヤ」。それは石炭のように黒く、黒糖のほのかな甘みが口の中に広がる筑豊のソウルフードだ。
近代日本を支えた「石炭」は、かつて「黒ダイヤ」と呼ばれていた。
昭和中期頃まで田川市でも大量に産出された石炭は、筑豊地区に大きな利益を生み出していたこともあり、人々は愛情をこめて石炭のことを「黒ダイヤ」と呼んだそうだ。
炭鉱が閉山して、今では石炭が過去のものになってしまったように思える。
しかし和菓子職人の濱田辰男さんは、82歳にして現役で羊羹・黒ダイヤを手作りし、田川市の歴史を紡いでいる。
鹿児島で生まれた濱田さんは16歳から和菓子の道に入り、30歳で田川市へ移り住んだ。
濱田さんは日本で4番目に和菓子1級技能士を取得した職人だそうで、黒ダイヤのほかにも、季節の和菓子など数多くの甘味を作っている。
そんな大ベテランの濱田さんでも、黒ダイヤを作るのは今でも難しいと言う。
気温や湿度を見ながら材料量や回転数を変えていくので、その判断を誤ってしまうと、田川市で誕生した「羊羹・黒ダイヤ」の味を損ねてしまうからだ。
「若い人にこの技術を受け継いでほしい」と話す濱田さん。
いつか途絶えてしまうように思えてしまうが、黒ダイヤを作っている「亀屋延永」では濱田さんの技術を受け継ぐ職人がいる。
だが、その数は少ないのは確かだ。
今では工場と店舗が田川市から飯塚市に移り、多くの客はそちらに行くことが多くなった。
だが、田川市の伊田駅前に小さいながらも販売店が残っていて、黒ダイヤが陳列されている。
その販売店の近くには昔、工場があったそうで、大量の黒ダイヤが作られていたそうだ。
濱田さんによると、仕事に疲れた炭鉱夫が甘いものを求めたのが誕生のきっかけなのでないかとのことだが、その由来は正確には分かっていない。
ただ、大量の汗を流し、筋肉を酷使した後に炭鉱夫が食べた羊羹がどれだけ美味しかったのか。
その味を知ることはできないが、黒ダイヤを食べる町の笑顔は容易に想像ができる。
羊羹を通して町の歴史を知ることができるのは、贅沢だと感じる。
和菓子職人・濱田さんが未来に残したい風景は「香春岳」だ。ベストスポットは田川市石炭・歴史博物館から見る香春岳だという。
「香春岳からは石灰石が産出されているんだよね」と話す濱田さん。
石炭が黒ダイヤとして重宝されていたように、石灰石は白ダイヤとして日本の家屋や伝統文化を支える重要な資源として大事にされてきた。
濱田さんが鹿児島から田川市に移り住んで50年以上。今では田川市を愛してやまないという。
黒ダイヤを象徴する場所から白ダイヤを象徴する香春岳を濱田さんが見つめる。
歴史を紡ぐ職人は、歴史に感謝しながら羊羹を作り続ける。
※この記事は2022年の情報です(「STORY」12月11日放送)。