豊臣秀吉の子飼いである〝七本槍〟のメンバーの一人。
槍の腕前は優れているが、何となく七本槍メンバーの中でも地味な印象があり、しかも加藤清正と名字が一緒な上に向こうは自分よりそこそこ華があるような気がしてしまい、勝手にコンプレックスを抱いている。
通称・左馬助と呼ばれ、幼少期に馬の行商も手伝っていたためやや強引に〝ウマ〟として描かれる。
加藤嘉明について
1563年三河生まれ。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでは七本槍の1人として数えられる。秀吉の死後は、関ヶ原の戦い、大坂の陣でも戦功をたて、武勇に優れ、かつ冷静沈着な名将であるとされている。江戸期には秀忠、家光と徳川家に仕え、後に会津若松城主40万石に封じられる。1631年、江戸にて病死。 戻る