豊臣秀吉の子飼いである〝七本槍〟のメンバーの一人。
七本槍メンバーの中では最年長。「わきさか」と呼ばれると「〝ざか〟ね」といちいち訂正するところが面倒臭いとメンバー内でもよく話題に上がる。
テンの皮の槍鞘を持っていたため〝テン〟として描かれる。
脇坂安治について
1554年近江生まれ。浅井長政に仕えていたが、浅井家滅亡後は織田に属する。その後、豊臣秀吉の家臣となり、賤ヶ岳の七本槍の1人に数えられている。武功で知られるが、和漢の学に通じ、特に和歌を嗜んだとも言われている。晩年は、京都西洞院に住み、剃髪して臨松院と号した。1626年に京都で死去。
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