毛利元就と二頭体制での毛利家当主であり、五大老のメンバーの一人。
反家康派のメンバーと家康の間を取り持つムードメーカー。複雑な家庭環境に育ったがそんな様子は感じさせない頑張り屋。テルモっちゃんの愛称で呼ばれている。
幼名が幸鶴丸だったことから“ツル”として描かれる。
毛利輝元について
1553年、毛利隆元の長男として生まれる。室町幕府将軍・足利義昭を迎えて、織田信長と対立。本能寺の変後に豊臣秀吉と和睦し、その後、五大老の一人となる。関ヶ原の戦いでは、豊臣方の総大将として大阪城に入ったが、敗戦し減封となる。家督を譲ったあとも、長州藩の実権を握っていたとされ、1625年萩の四本松邸で死去。 戻る