島津四兄弟の四男。
義久同様、戦略派だがこちらの方がやり口が陰湿で敵からしたらタチが悪い。性格的にはおとなしいタイプだが、それすらも相手を罠にかけるための戦略なのではないかという噂もある。
兄弟の中で自分だけが妾の子であることをコンプレックスに持つ。
島津義弘が朝鮮出兵の際に7匹の猫を連れて行ったという話からネコとして描かれる。
島津家久について
島津貴久の四男。初陣で敵将を討ち取るなど、若年より戦の才を周囲に認められていたと言われている。豊臣秀吉の九州平定の際には、島津義久・義弘が降伏する前に4兄弟の中では最も早く豊臣秀長軍と単独講和したとされている。その後、佐土原城で急死。その死には、病死説や豊臣側あるいは島津側による毒殺など、様々な説が残っている。 戻る