才能溢れる父親・官兵衛に似て成績優秀だがトップにはなれない、器用貧乏なタイプ。やたらと人と揉めることが多く、一度恨みを買うといつまででも根に持ち続けるねちっこさを持つ。
父・黒田官兵衛と同じく、キリシタン大名であったこともあり、官兵衛が、死の間際「子羊の祈祷文」を所望したいわれから、“ヒツジ”として描かれる。
黒田長政について
1568年播磨国生まれ。黒田官兵衛の嫡男として生まれ、幼少期には豊臣秀吉のもとに人質に出される。有岡城の戦いの際に、黒田官兵衛が敵方に寝返ったと見なした信長は長政の処刑を命じるが竹中半兵衛の機転により処刑を逃れたとされている。その後、官兵衛の後を継ぎ、文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いで武功を挙げたとされ、1606年に初代福岡藩主となる。1623年京都にて没。 戻る