伊達家の若き当主であり広告塔。
エキセントリックなやり口で東北の方ではそこそこ名が知られた存在だが、それもすべて参謀である片倉小十郎がバックで操っているのではないかとの噂あり。笑いの事になるとちょいちょいディスってくる小十郎が少し苦手。常にマイ納豆を持ち歩くほど食にこだわりを持つ。
独眼竜の名で知られることから〝リュウ〟として描かれる
伊達政宗について
1567年出羽生まれ。幼少時に患った疱瘡により右目を失明し、隻眼となった。父・輝宗の隠居にともない家督を相続し、伊達家当主となる。出羽米沢を根拠に勢力を拡大したが,豊臣秀吉に帰服する。関ヶ原の戦いでは徳川方につき、二代将軍秀忠、三代将軍家光に仕える。1636年江戸にて死去。趣味人で特に料理への研究を熱心に行っていたと言われている。また、酒を大変好んでおりお酒にまつわる逸話も多い。 戻る