豊臣秀吉亡き後、豊臣家の家督を継ぐことになってしまったお坊っちゃま。
とはいえあらゆる決定権は母親である淀殿にあり、お飾り的存在となっている。何をする時でも母親に「~してもいい?」と許可を得る。図体はデカい。
秀吉の息子であることから“サル”として描かれる。
豊臣秀頼について
1593年、豊臣秀吉と側室であった淀君のあいだに生まれる。6歳で豊臣家の家督を継ぐが、関ヶ原の戦いの後、摂津・河内・和泉60余万石の大名におとされたとされている。徳川秀忠の娘千姫と結婚して、右大臣となったが大坂の陣で敗れ、母・淀君とともに自刃したと言われている。
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