豊後王が遺したもの
2026年06月27日
[大分県]
大友宗麟(4)

16世紀、北部九州6カ国を治めた豊後王・大友宗麟。
彼がこの国に残した大きな足跡とは―。

現在の大分を拠点にヨーロッパとの積極的な貿易で巨万の富を得た大友宗麟。
彼が目指したのは西洋文化を取り入れた新しい国作りでした。
大分市教育委員会 文化財課 中西武尚さん
「宗麟は、進取の精神といって、新しいものを進んで取り入れる精神を持っていて、長崎よりも先に西洋との貿易に目を付け、その甲斐あって、大分にはいろんな西洋文化発祥というものが数多くあります。」

キリスト教普及のため府内に建てられた教会では、ビオラやオルガンの音色が響き、
日本初とされる合唱や西洋劇が開催されていました。さらに日本で初めて設立されたといわれる西洋式の病院は、かつて弟が火縄銃で大けがをした際、目の前で治療してくれたポルトガル人の技術に衝撃を受けた宗麟が設立を支援しました。その他にも、様々な文化が府内から全国へ広まったといわれています。

長崎出島より80年近く前に、西洋貿易の拠点として栄えた豊後の国・大分。
現在大分市内では、大友館(おおともやかた)の復元が計画されるなど失われた遺産をよみがえらせる動きが進められています。
今から500年近く前、豊後の地から西洋文化を発信し続けた大友宗麟の精神が再び注目されています。