豊後のキリシタン大名
2026年06月20日
[大分県]
大友宗麟(3)

16世紀、北部九州6カ国を治めた戦国武将・大友宗麟。
西洋から豊後王と呼ばれた彼には、もうひとつの呼び名がありました。
豊後国の当主として勢力を拡大していく宗麟に大きな影響を与えたのが、
フランシスコ・ザビエル。実は、彼を豊後に招いたのは宗麟でした。

大分市教育委員会 文化財課 中西武尚さん
「宣教師は、布教活動に行きたくても船を持っていないので行けない。だから、船を持っている商人と行動を共にします。宗麟はそこに目を付けて、キリスト教を布教することで貿易もできて一石二鳥と考えて、ザビエルにキリスト教を許可したということです。」
以来、豊後の中心地・府内には、キリスト教と同時に西洋の音楽や観劇なども次々と伝来しました。元々書道や茶道、能など芸術文化を好んだ宗麟にとって、初めて目にする西洋の芸術文化は、新たな国作りへの夢を膨らませるものでした。

さらに、宣教師との交流によって、のちにキリスト教の洗礼を受けることに。
洗礼名はフランシスコ・ザビエルにちなんでドン・フランシスコとしました。
また、熱心な信仰心はポルトガルにも伝わり、宗麟はヨーロッパでは「豊後王」と称され、豊後のキリシタン大名となったのです。
宗麟は西洋文化への関心が強くなるにつれ、理想の国作りを進めていきました。