五人づれ
2025年11月01日
[熊本県]
五足の靴(1)

「五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。……」
そんな印象的な書き出しで始まる紀行文「五足の靴」。
与謝野寛と無名の若き詩人たちが辿った九州の旅は、日本文学における大きな分岐点となるものでした。


明治40年、東京二六(にろく)新聞に掲載された「五足の靴」。
書き手の名前は明らかにされず、「五人づれ」とだけ記されています。
交代で匿名執筆した五人づれとは、当時、詩人歌人として地位を築いていた与謝野寛と彼が発刊した雑誌「明星」に寄稿していた若き詩人4人。
あの北原白秋を含め、まだまったく無名の存在でした。
五人はおよそ1カ月かけて福岡・佐賀・長崎・熊本と九州を巡っています。
交通網もまだ不備だった時代、彼らはなぜ九州を目指したのでしょうか。

北原白秋生家・記念館 髙田杏子館長
「南蛮文化に触れたいというところですよね。キリシタンとか。そういうところを文学のために訪れてみたいというのがあったんだと思います。」
南蛮文化を肌で感じたい・・・。
若き詩人たちの思いが、五足の靴を九州、とりわけキリシタン遺跡が多く残る天草へと向かわせたのです。
でも実は当初、旅の目的地は北海道の予定だったといいます。それがなぜ九州となったのか…。そこには柳川出身・北原白秋の存在が大きく影響していました。