長崎で見出した希望
2025年10月11日
[長崎県]
亀山社中(2)

坂本龍馬が長崎で見出した希望。
それは、薩長同盟を成し遂げる大きな要因となりました。
「亀山社中」が長崎に誕生したのは慶応元年、明治維新を迎えるわずか3年前のことでした。それは「日本初のカンパニー」で、勝海舟のもと神戸の海軍操練所で航海術を学んでいた若者たちとともに、民間による海運業と商社を目的に立ち上げたものです。

当時、外国との交易が行われていた長崎。
好奇心旺盛だった龍馬は、日本初のカメラマンといわれる上野彦馬に写真を撮ってもらうなど、長崎の異国文化に心奪われたのです。

世界龍馬楽校 柴崎賀広 主宰
「長崎というのは、400年くらい開港されているわけです。中国、オランダ、ポルトガル人が集まる国際都市です。土佐から脱藩して出てきた彼らが見たら、それはものすごくいろんな希望が抱けたのではないかと思います。」
そんな中、最も衝撃を受けたのは長崎にいた外国商人たちの商売の知恵でした。
需要があれば高値で売れ、そのお金で武器も手に入る。亀山社中は、この需要と供給が価値を生むという発想のもと活動していました。
世界龍馬楽校 柴崎賀広 主宰
「当時の薩摩と長州が犬猿の仲だったわけです。和解させて薩長同盟に結びつけた。これが最大の功績だったと言えます。」
薩摩と長州二つの藩をどう結びつけたのか?
それは、龍馬たちが外国商人から学んだ商売の知恵だったのです。