児童文学者へ
2025年06月21日
[大分県]
久留島武彦(3)

児童文学者・久留島武彦。
彼の幼児教育の理念とは―。
久留島武彦は20歳の時、日清戦争に従軍し台湾へ赴任します。
終戦後はこの体験を題材にした物語が、「少年世界」で連載されました。
やがて童話作品も書くようになり、明治36年、童話を語り聞かせる日本初の口演童話会を開催したのです。
久留島武彦記念館 金成妍館長
「久留島先生は東京に「お伽倶楽部」という組織を立ち上げて、日本全国あちこち行きながらお伽倶楽部の支部を作っていきます。その一方、東京の渋谷に幼稚園を作って、35年間子供達を教育していきます。」
久留島は、幼児教育の上で二つのことを掲げていました。「個性の尊重」と「共に生きていくための調和」です。この教育理念は「桃太郎主義」とも呼ばれていました。
久留島の活動を引き継ぐ語り部ひこわの会 秋吉民子会長
「信じ合い、助け合い、違いを認め合うという精神で全国を駆け巡り、活躍した先生です。」
久留島は、この精神をボーイスカウトにも感じ、日本での普及に力を入れていました。
そんな彼は、デンマークでの世界大会に出席した際、アンデルセンゆかりの地を訪ねます。
しかし、記念館もなく、荒れた墓を目の当たりにし、アンデルセンの存在を訴え続け、母国で彼を称える気運を高めたのです。これをきっかけに「日本のアンデルセン」と呼ばれる存在となりました。
そして、とどまることが無かった久留島武彦の人生を象徴するような〝座右の銘〟を残していました。

